「清少納言を求めて フィンランドから京都へ」ミア・カンキマキ

  本のチョイスが抜群の友人がいる。画集を返しに行ったら新しい本を貸してくれた。

アラフォーのフィンランド人が学生時代に比較文化を履修したことで、日本の古典文化に興味を持つ。仕事の行き詰まりを打破するために長期休暇(1年間)を取り、清少納言を研究するためにノンフィクション助成金を申請し、晴れて京都に住むことになる。

 

 しかし、吉田山の古いゲストハウスはゴキブリの巣で、海外からやってきた風来坊たちの流浪窟でもある。さまざまななバックグランドを持つ同居人たちと仲間意識が生まれ、その食い違いも面白い。

 

 助成金はなかなか下りなくて「でも、セイ、まだ諦めない。その方がいい気がする。私とセイは驚くほど似ている、と強く思う。ー中略ー」とあたかも清少納言が隣で生きてるがごとく、平安時代と現代が並行していく。

 

 セイ、セイと呼びかけるたびに、ひょうたん型で下膨れの清少納言がつけまつ毛をカールしてるような気分になる。なんか妙にバタ臭い。枕草子を研究してると言うと"pillow books"と勘違いされ、日本の春画などがそう呼ばれていることを知る。

 

 フィンランドに戻り、英文の書物を求めてロンドンに飛び、バージニア・ウルフとの比較を研究する。執筆を始め、再び京都のゴキブリ洞窟へ。

 しかし、滞在中に東北大震災が起こり、福島原発炉の爆破に恐れをなしてタイの保養地に避難する。プーケットで、アラフォーフィンランド人に対するタイ人の見方が可笑しくて笑える。にわか研究者になった彼女に、遊び、楽しむことを勧めるのだ。タイ人らしい。ーーータイ人くらい研究と言う言葉が似合わない人種はいない。もう、暑すぎて頭が回らんもの…。

 

 わたしにとっても平安時代は異文化である。彼女と一緒に異文化を体験し、旅をしている気分になった。