「まっくら」森崎和江 著

  60 年前のデビュー作が、世界記憶遺産である山本作兵衛の「炭鉱記録画」を挿入し、文庫本で再出版された。

 近年、話題になったノーベル文学賞を受賞したアレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」と同様に、聞き取りを話し手の一人称で表現してしている。聞き手の感情を入れない技法は、よりいっそうに読み手に迫り来る。

 「地面の下には神も仏もいない」や、生理中は坑内に入れない山のタブーには「まっくらで生理かどうかなんてわからん、入れないと食えん」と多くの女性がそのまま坑道を下った。 ケガレなんて嘘だと。貧乏のどん底で、貧しい流れ者たちが助け合い、真実暮らしたのだ。

 

 私は道南の漁村で育ったのだけど、その山奥に上ノ国鉱山があり、マンガンを採掘していた。 高校の時、そのマンガン鉱にバイトに行ったことがある。 暗い坑道に設置されたベルトコンベアに鉱石が入れられて、目の前を流れる。 その中からマンガンを選び出す作業だ。

坑道の木枠からは絶えずシトシトと水が流れ落ち、裸電球が蛍のように瞬いた。気味悪くて生きた心地がしなかった。一週間で辞めた。

 

 そのせいか、死んでも墓に入りたくない。まっくらなのは宇宙も変わらないだろうが、土の中よりは宇宙がいい。宇宙葬ってあるのかね…。