石原裕次郎

 歌謡曲が嫌いだ。コード進行が同じでどれも同じに聞こえる。歌詞がまた我慢できない。「こんな私に誰がした…」的な文言が多くて、それはあんた自身の問題だろう!と全く賛同できないどころか腹が立つ。

 ところが、カラオケ全盛時代、発掘調査現場でバイトするようになり、調査員と飲み屋に繰り出すようになり、みんなが歌う裕次郎を聴いていた。酔わないと馴染めないのでガンガン飲んで酔っぱらい、翌日は二日酔いの頭で昨夜の割り勘を計算していた。

 

 YouTube石原慎太郎の対談をクリックしたら、裕次郎追悼番組だった。裕次郎は昭和の国民的スターだったのだ。記憶にあるのは、慎太郎が東京都知事だった頃、裕次郎が入院し、自衛隊のヘリを飛ばし問題になっていた事くらいで映画も見たことがなかった。

 

 映画を見てみると20代の石原兄弟はおしゃれで男前だ。慎太郎の方がいい男だったといえる。裕次郎の爆発的な人気は彼の不良っぽくやんちゃ、正直で優しい人柄から来ているのだろう。慎太郎の「太陽の季節」の映画化でヨットなどの指導スタッフとして参加したのが映画界に入るきっかけとなり、次の作品「狂った果実」で北原三枝と恋に落ちる。運動神経は抜群でアクションスターにぴったりだ。生涯99本の映画に主演し、その半分の主題歌を歌っている。裕次郎の歌はカラオケでも一番人気だったのだ。

 

 反骨精神も旺盛で看板スター同士の結婚がご法度の時代に北原三枝と結婚、ワンパターンの娯楽映画に嫌気がさして石原プロを設立した。まき子夫人によると、怪我や病気が多く結婚生活の半分が病院だったそうだ。彼女は現在、88歳である。裕次郎が亡くなったのは52歳だから、結婚生活より長い一人暮らしにも関わらず、裕次郎が存在するように話しているのを聞いて感銘を受けた。今も愛した人と共に生きているのだ。

 

 昭和の時代を駆け抜けた国民的スターを今頃になって知った。いったい、どこの国で生きてたの?って言われそうだけど芸能界に全く興味がない。ーーーそういえば小樽に裕次郎記念館があって、クライミングに行くときに横目で見ていたね。

 

 

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