旧友&きびだんご

 午後。さあ、絵を描こう、と思っていたところにチャイムが鳴った。

ドアを開けたら、郊外に住む旧友が立っている。

「あんた、ダリア嫌いだって言ってたけどさ、あんまり見事だから絵描くのにいいと思って!」と胸に大きな新聞紙の包みを抱えている。そして、

「雨、降りそうだからさ。直ぐに帰るわ」という。

「えっ、なんで来たの?」と私。

「ママチャリよ。1時間ちょっとかかったわ」

「切り替え付いてんの?」

「ないよ、そんなもん」

「え〜、よくきたね!まあ、お茶くらい飲んでよ」とお茶を出すと、

「冷たいものは飲まないんだ。はちみつ入りの水持ってるからいいよ。きびだんご食べたら帰るわ!」と、ポケットから桃太郎のきびだんごを出した。

「懐かし〜!今もこんなの売ってるんだ?」と驚く。聞くと、気に入って箱買いしているという。

「それにしても、いきなりやってきて、田舎の人だねぇ...」と嬉しいやら、呆れるやら。

「やあ、朝起きた時は思いつかなかったんだよ。花があんまりすごいからさ」だって。きびだんごを食べ終わったら、そそくさと帰って行った。

 

 そのダリアだけど、子供の頭ほどあって怖くて絵を描く気になれない。

昔、絵の友人が個展でいただいた君子蘭を置く場所がないからと我が家に持ってきた。見事な花を付けていて、娘が夜トイレに行くのが怖いという。

 そう言われて夜、鉢に目をやると、ベランダ越しの明かりに浮かび上がる花は存在感があり、何かもの申しているみたいで不気味だった。

 あの君子蘭はどうなったんだっけ?たぶん、花の好きなご近所さんに貰っていただいたと思う。

 

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映画 「シェタリング・スカイ」ベルトリッチ監督 1990

 1990年、サハラ砂漠へ星を見る旅に出た。天と地がひっくり返るような強烈な異文化に触れたとき、人は自分の立ち位置を見失う。赤い砂漠とベルベル人コーランの祈り、ラクダのいななき、無窮の星が地に降り注ぐ中で、自分が何をして、どこで生きているのかを忘れた。それは麻薬のような作用がある。

 

 同じ年、「シェルタリング・スカイ」が上映され、アカデミー賞ほか、数多くの賞を受賞した。原作はアメリカの作家、ポール・ボールズの同名小説。彼は作曲家でもあり、異文化に憧れ、中南米やモロッコなどに暮らした。この小説は妻のジェーンと北アフリカのタンジェールに暮らした経験から、自分たちをモデルに書いたと言われている。西洋文明や消費文化に疲れ果てたポールズ夫妻は異文化を求め魅了され、旅に暮らした。

 

 作者の言わんとしていることがわからず、なんども映画館に足を運んだ。原作を読み、DVDを求めた。モロッコを旅したときの、あの迷宮に入り込んだような感覚を忘れられない。その後、横軸を移動する旅から山に登る旅、縦軸に移行するが、高さに関しても同じで、さらに高みへと憧れた。群青の空に吸い込まれそうな気がし、このまま消えてしまうような感覚を覚えた。

 

『空は明るいと言われているけど実は黒い。空の向こうへ行けば、それがわかる。空を信じてはいけない。人類を闇から護っているというわけだ。空の向こうは闇だから』ーポール・ボールズ。

 

 そして、映画の最後で言うポールズの言葉は意味深い。

『人は自分の死を予知できず人生を尽きぬ泉だと思う。だが全ての物事は数回起こるか起こらないか。自分の人生を左右したと思えるほどの大切な思い出を、人は何回思い浮かべるのか。4、5回、思い出すのがせいぜいだ。あと何回満月を見られるのか。だが、人は無限の機会があると思っている。』

 

 「シェルタリング・スカイ」 音楽:坂本龍一

 

youtu.behttps://youtu.be/kKzAaSI_OEM

 

 

友達文庫 no.2

 山の絵が行き詰まっているとことろに友達から本が届き、全てを後回しにして読んでしまった。

 

 「ラダックの星」中村安希 

著者は「インパラの朝」で開高健ノンフィクション賞受賞。前回は2年の間に47カ国を放浪する話だったが、今回は北インドのラダックに星を見に行く話である。

 星は砂漠の方が綺麗に見えるのに、なんで山なんだろう?と気になって手に取ったら、一晩で読んでしまった。ストーリーは著者の青春時代、同郷の友人の死と並行するように展開していく。

 

 山に入ると自分の内面と向き合うことになり、家族や友人を含めていろんな事柄が縦横を織り成す糸のように過って行く。人との関わり合いの中で物事を選択して生きているのだと思う。

 友人を思い出した。高額なエベレストの登山費用に疑問を持っていたとき、闘病中の若い友人に相談した。「登山費用はもっと有効なことに使うべきだろうか?」と。彼女は「いまさら、いい人になってどうすんの?」と即答した。そうだ、登りたいのは私なのだ。理由をつけて躊躇しているのを見透かされていた。

 そして、2004年3月中旬にネパールに発った。現地で登山準備をし、6000mのプレ登山を終え、4月、チベットサイドのベースキャンプに入った。高所順応も順調に進み、ABCキャンプ(6300m)に入ったある日、彼女の夢を見た。

 私たちは新緑の大通り公園を歩いていた。彼女の長くまっすぐな髪の間を爽やかに風が通り抜けて、私は嬉しくて「こんなに元気になるとは思っても見なかった!」と笑ったところで目が覚めた。

 

 エベレスト登頂を終え、6月の初めに日本に戻ったら、彼女のパートナーから手紙が届いていた。4月に亡くなったとの知らせだった。あの夢はお別れの夢だったのだ。

 彼女は抗がん剤の副作用ですでに髪は抜け落ちていたが元気だった。「点滴の針が抜けたら旅に出たい!」と言っていた。30歳の若さで逝った友人。父親は医者で早期に見つけられなかったことを悔やんだ。もし、自分の子供だったらと思うとかける言葉が見つからなかった。

 

 星に話を戻すと星は山より砂漠がいい。海外登山のアタック日は夜中に出発する。いろんな国で星を見たがサハラ砂漠の星が忘れられない。砂丘に横たわると、宙は星で埋め尽くされ、流星が雨のように降り注いだ。星の海に浮かんでいるようだった。

 

 他「ミラノの太陽、シチリアの星」内田洋子

  「いちばんここに似合う人ミランダ・ジュライ

 内田洋子氏はイタリア・ミラノ在住のエッセイスト。数冊読んだなかでこれが一番好きかも?というのはイタリア人らしい人が登場する小話で、笑いと寂しさと幸せが同居する。

 ミランダ・ジュライ氏の本を読むのは初めてで、鋭い感性を持ち、それを端的な文章で表現できる人なんだろうなと思う。ーーー本をチョイスする友人のセンスに脱帽です。

 

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アドベンチャー登山?

 樽前山リベンジ登山。万全を期して天気予報をチエックしたにもかかわらず、支笏湖周辺だけ雨が降っている。これじゃ、リベンジの意味ないね、と予定を変更し、オープンしたばかりの白老のアイヌ民族博物館、ウポポイに行くことに。しかしネットで調べると予約なしでは入館出来ないとのことで、更に変更し静内の牧場へと向かうことに.....。

 がっかりしながら支笏湖を過ぎると、千歳は雨が降った形跡はなく、ウトナイ湖に立ち寄ったあたりで青空も覗き、もしかして登れるかも?と支笏湖へとUターン。しかし、残念なことにやっぱりここだけ雨が降っていて、湖は波立ち対岸の山は稜線も見えない。

 

 もう、札幌に戻ろう!と決断したところで、札幌は晴れているから、帰宅途中にある空沼岳の万計山荘まで行くのはどうだろう?と提案した。標高差は藻岩山くらいで2時間ほどで行ける。誰も行ったことがないとのことなのでお昼を食べてからの午後登山。万計沼でコーヒーブレイクとした。

 

 ところが、道が欠壊していて沢登り状態。橋も壊れ頼りないハシゴがかかっているだけ。えー、大丈夫かな?と山友に問い合わせの電話を入れるが出ない。ーーー天気がいいのに下界にいるはずがない。

 心配しながら沢形を登り、おっかなびっくり橋を2度渡り、2時間半で山荘に到着。霧が降りてくる水面を眺めながらのコーヒーブレイクはちょっと素敵。まるで東山魁夷の絵のようだ。ーーーまんぞく、満足!

 

 大満足で下山始めたのが4時で、日没の6時には到着予定。

ところが登りと同じだけ時間がかかり、雨も降ってきて森の中は思いのほか暗い。ゆっくりね!と声を掛けて慎重に降りたがドキドキのアドベンチャー登山になってしまい、ヘッドランプの明かりに車が浮かび上がったときは正直ホッとした。

 

 下山後に小屋のボランティアをしている山友から問い合わせの返事があり、道は2年前に崩壊していて、橋も直してもまた流されるので仮ハシゴを掛けているとのことだった。満足してくれたけど、山の経験のない友人にとんでもない体験をさせてしまったと反省です。

 

  

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朝顔の小宇宙

 朝顔のその濃い紫色に惹かれた。初めてジョージア. オキーフの絵の前に立った感動に似ている。拡大して描かれた花芯はセクシーでドキッとした。

 花より花らしく描こうとしたのは三岸節子である。彼女は花の持つ生命力を描いた。あんな風に花を描ける画家を他に知らない。

 

 絵を描いているんだってね、と言って紫陽花を頂いた。花を愛する隣人は数種の紫陽花を植えていて、星形の花弁を持つ紫色の額紫陽花が欲しくて眺めていたのだ。丹精込めて育てた花を頂き、嬉しくて声が裏返った。

 

 花を育てるのが上手な人を「green hand」と言う。花は足音を聞いて育つと言うから、花の気持ちがわかる人なんだと思う。我が家はほったらかしの植物しか育たないが息子が沖縄で買ってきた親指くらいのガジュマルは5、6年で腰丈ぐらいになった。

 なんでだと思う?ジャガ丸君と名付けて、声を掛けてあげていたからだと思うよ。自然科学者のライアル・ワトソン曰く、褒めて育てた植物は大きくなるとのことでした。

 

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David garrett in Japan 1997

 David 初めての日本公演で、この時16歳、すでに1718年製のストラディバリウスで演奏している。

  彼のインタビューによると、両親が家を競売にかけてこれを手に入れた。10 歳からソリストとして演奏活動をしていて、大人の演奏家のなかで育ち、自分と同じ年頃が聞くCDを一枚も持つことなく趣味はコインと切手の収集だったとのこと。ジーンズも履いたことがなく親が選んだダサい服を着ていたんだと苦笑していた。

 

 億単位の価格のバイオリンは将来の自由を奪われたように重荷となって、時には大声をあげたり、弓で頭を叩いたりしていたそうだ。この公演のあとで音楽大学に進むことになりロンドンに行く。しかし、それはBプランであって、本命はアメリカのジュリアード音楽院だった。親の拘束から逃れたかったのとアメリカでは誰も自分のことを知らないからと反対を押し切ってNYに行く。

 ところが運悪く911テロ事件が起こり、予定していた奨学資金が貰えなくなった。アメリカは安全な国ではないということを実感したけど、自分の選択が間違っていたと人に言われたくなかったそう。そこで演奏活動とモデルで学費と生活費を稼ぐ。いろいろ失敗もあるが常に前しか見ない、明日に情熱を傾けるといっていた。

 

 この頃も、今も楽しそうに弾いている。インタビューで何ヶ国語を話すの?と聞かれてドイツ語と英語とMusicと答えていたが、音のひとつひとつと会話しながら演奏しているように思える。

 

 

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夢の残骸

 コロナ感染の外出自粛令で家時間が多くなり断捨離する人が増えていると聞くけど、私の荷物は増え続けている。

 突然、息子から「ベッド返して」と言われ慌てた。息子が置いていった長身用のベッドの下にブロックをかませ物置にし、上は娘が来た時に寝ている。

さて、どうしたもんか?と考えたがアイデアが浮かばず「ベッドくらい買いなさいよ」と言うと「雨洩りするから、屋根直さなきゃならないんだよ」とのこと。

 

 そうだ、石橋息子はケチなのだ。子供の頃、息子と娘におこずかいをあげていた。娘は兄の誕生日のプレゼントに全部使うが、息子はいつも半分だけ使っていた。結婚する時、「女ってどうでもいいことにお金を使うもんだよ」とアドバイスをしたら、「大丈夫、俺よりしっかりしてっから」とのこと。ーーーあっそ....。

 新生活するのに、お嫁さんの両親と二世帯住宅にするかどうかとの話になって「離婚したらさ、お兄ちゃんは家なしだね?」と言ったら、中古住宅を購入した。それが雨漏りするとのことだ。

 

 それは一大事。客用布団を一枚だけ残し処分した。机を移動し、大学で拾ってきた板をかませてベッドにした。下はもちろん絵のキャンバスや額入れになった。机の上にも床にも寝られて一石二鳥。夢の残骸のエレクトーンの上や壁も絵の置き場になっている。地震で倒れないように壁に固定した。ーーーなかなかイイじゃん!

 

 というわけで一件落着。お盆は部屋の模様替えをしていた。

 

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