「炎の画家 三岸節子」吉武輝子

    新しいキャンバスを張る。白い画布にむかうこの感覚が好きだ。作図の仕事の時もそうで、方眼紙に垂直線を引く時が一番いい。これから何かが始まる空白の時間、そのちょっとしたわくわく感が楽しい。

 

 と思うんだけど、キャンバスを張った夜はプロジェクターを投影し、ひとり映画館を楽しむ。次にするのは気になる本を読む。ちょうど、リクエストしていた本が入り、借りた当日に読んでしまうが、面白くなかった。翌日、返却に行き目に留まったのが三岸節子の本。彼女の自署は全て持っているし、作家によって書かれた本もすべて読んでいるが、吉武輝子が書いた本は読んでいなかった。

 

 三岸節子が生きた時代背景や友交関係、日本の画壇の因習や女性蔑視などの全般に及んでいて、なんと大変な時代に三人の子供を育て、恋愛をし、そして20年もの間をフランスに居を移し、修道士のように絵に向かっていたのだ。

 

 こんなにも一途に絵に向かう精神とは、いったいなんだろうと思う。覚悟して生きてきたということだろう。彼女の強さに感銘する。

 ジャーナリストに叩かれ、「以後ジャーナリズムでは、三岸節子を一切扱わない」と絶縁状を送られてきた時、「扱われなくても三岸節子は存在する」と息子の黄太郎に言ったそう。今更ながら、彼女の生きざまに感嘆した。

 

 ーーー「心してかかれ、ばか者よ!」と、喝を入れられた気がする。