Made in Grmany

 Made in Grmanyのホルダー芯研ぎ器が壊れた。それも二つとも使えなくなった。

Grmanyでしょ!なんで壊れる?と芯研ぎ器に八つ当たりして、しっかりしろGrmany!と叱咤激励しても始まらない。これって右回しで研いでいたけど、左利きの人がいるはずだし、もしかして左周りでも研げるかもと左回しにしたら、回った。しかし、ギコギコ音がして遂に心棒が折れてしまった。

 

 壊れて当たり前なのだ。毎日、16時間も新聞紙半面のトレーシングペーパーの土器に縄文を描き続けている。それもあわ粒から米粒程の大きさの粒つぶをひたすら新聞紙半面に埋めていく。ただ埋めるのではなく施文した順番も考えなくてはならない。

 縄文土器は繊維を撚った縄を土器面に回転させているが故に縄文土器と呼ばれるのだ。強度のためと言われているがそれだけではないと思う。縄文時代の中期(6000年くらい前)には実にいろいろな縄を編み出していて、一つの土器に4種類もの縄を回転させ文様を描いている。この時代は三内丸山遺跡が有名である、と講釈しても何が面白くてこんなことをしているのか私にもわからない。

 

 で、改めて考えたんだけど、土器に触るのが好きなのだ。手びねりの土器は指の跡が残っていてどんな人が粘土を積み上げたんだろうな?と想像する。土器に限らず、私は何でも触って確認する。地下鉄で上等なカシミアのコートを着ている人がいると触りたくなって寄っていくし、木の幹や葉っぱ、砂や石ころなんでも触って確認する。要するに土器を撫で回して情報を入れる作図の仕事が好きなのだ。

 

 ところが、3分の1が終了したところで作図の指示が変更になり、土器全面を描くことになった。土器は文様のない胴下部は左半分だけ描き、右は土器の厚さや内面の調整などの情報を入れる。土器が大きいだけに2時間も余計に時間が掛かり、気が遠くなる。朝から夜中まで意味のない粒つぶを描き入れていると気が狂う。

 何の本だか忘れたが、アウシュビッツで右から左へ、左から右へと石を移動させる意味のない行動を繰り返させると人間はおかしくなるんだそうである。

 

 で、芯研器をネットで探したかないので街まで買いにいく、と業者に連絡したら、あります!という。今はデジタルの時代だから手実測はしないのだそう。そのデジタル・トレースの下図を私が請け負っているのだ。

 何はともあれ、芯研ぎ器は手に入った。結果的に三割り増しの仕事量になってしまったが朝のこない夜はないというから。ーーーはあ.....。

 

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