1963年〜1997 年、北海道内外の文化人が北海道に纏わる話を小冊子「北の話」に寄せた。2000年、そうそうたる寄稿者が名を列ねる4000編を75編に抜粋編集したもの。昔懐かしい北海道が思い出され、若かりし頃と重なり感無量だった。
串田孫一、佐々木逸郎、原田康子の山エッセイもあり、原田康子が空沼岳に登ったのは驚きだった。憧れの作家でアンニュイな雰囲気は山に登る人には思えなかったので意外に思う。
八木義徳のー「去れよう」後日談ー、が興味深い。「去れよう!」は冬、凍った坂でそり滑りをする時にかける掛け声だ。「危ないから退けて!」と言う意味で、私もそう叫んでそり滑りをして遊んでいた。3歳の時、振袖を着たままそり滑りをして袂を千切って帰ったとか…相当なお転婆だった。ーーー私は知らんけど。
この経験がデナリ=マッキンリー登山で役に立った。ベースキャンプから下山する時、そりに積んだ荷物の上に乗っての舵取りが上手いと言われた。ーーー昔、取った杵柄ってとこね?
「去れよう、去れよう、去らねば坂からモッコ( 蒙古)来るど〜!」に、一瞬にして子供に戻ってしまった。
そして、道南の江差追分の話。姥神神社のお祭りは有名である。道南で発掘調査の時に職場の上司が大層、お祭りの無礼講が気に入って、毎年泊まりがけで山車を引きに行った。地べたに座り込んでビール・ジョッキで日本酒を一気飲みし、ひっくり返り、山車に積まれて宿に帰った。恥ずかしくも懐かしい青春であった。
また、「北海道に本当の自然公園を作りたい」と言う寄稿文に驚いた。筆者は海外の多くの自然公園を訪れているそうで、野生動物が人を恐れずに近づいてくるのを羨ましいと述べている。アフリカでもインドで手から餌を食べると言う。ヨセミテ公園で観光客が車の中から親子クマにお菓子を放り、写真を撮っているのが素晴らしいとは、どういうこと?
『大雪山に自動車道路を通し、設備のよいロッジをつくる。キャンプ場やハイキング・コースはごくきめられた地域にとどめて、人間がどこでも勝手に、二本の足で歩かないようにする。猟銃は禁止して、大雪山に棲む野生動物を誘致して、人間に慣れさせる。…中略。万一、危険なクマが現れたらそれこそレンジャーが(監視員)が射殺すればいい。』
なんということか、人間が自然サイクルの頂点に立っている悍ましい事実を臆することなく放言している。自然保護団体からクレームが来そうな寄稿だ。ーーー笑えない。
「北の話」は画家の八木夫妻が挿絵を描いている。八木伸子さんの表紙絵は北海道文学館で観たことがある。小さな冊子にロマンあふれる北海道と寄稿者の凝縮された人生が詰まっている。本が売れる良き時代だったのかなとしんみりした。